東京地方裁判所 平成7年(ワ)24961号 判決 1996年8月22日
原告
有限会社石井工務店
右代表者代表取締役
石井浩
右訴訟代理人弁護士
有賀正明
同
桑村竹則
被告
岡本通武
右訴訟代理人弁護士
赤木巍
主文
一 本件訴えをいずれも却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 主位的請求
被告は、原告に対し、金三〇九〇万円及びこれに対する平成七年八月九日から支払い済みまで年六分の割合による金銭を支払え。
二 予備的請求
被告は、原告に対し、金三〇九〇万円及びこれに対する平成七年一二月二〇日から支払い済みまで年五分の割合による金銭を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、建築請負契約によって建築中の未完成建物を注文者が取り壊したことについて、請負人が注文者に対し、主位的に、危険負担による残代金請求権に基づき、請負残代金を請求し、予備的に、不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害賠償を請求している事案である。
二 争いのない事実
1 原告は、被告から、平成六年一〇月、次の建築工事を代金三九一四万円で請け負った(以下「本件請負契約」という)。
1 工事内容 木造平板瓦葺二階建建物
2 総床面積 205.76平方メートル
3 工事場所 静岡県伊東市十足字関場六一四―六九
2 本件請負契約の契約書は、住宅金融公庫融資住宅用の工事請負契約約款(以下「本件約款」という)を使用しているが、本件約款一九条には「この契約について紛争を生じたとき、当事者双方又は一方から相手方の承認する仲裁人を選んでこれに仲裁を依頼するか、……(中略)……中央又は都道府県建設工事紛争審査会に対し当事者双方又は一方からあっせん、調停又は仲裁を申請する。」との条項(以下「本件仲裁条項」という)がある。
3 被告は、原告に対し、本件請負契約代金の一部として、八二四万円を支払った。
4 被告は、平成七年一〇月五日、原告に対し、本件請負契約を解除する旨の意思表示をした。
5 被告は、平成七年一二月二〇日ころ、本件請負契約により建築中の未完成建物を取り壊した。
三 被告の主張
1 本案前の主張
本件仲裁条項は民事訴訟法七八六条の仲裁合意にあたり、仲裁契約が成立したといえるから、本件訴えは不適法である。
原告は、建築業者であり、本件請負契約前にも本件約款を使用して契約をしている上、本件請負契約の締結に際しては、被告の妻である岡本孝子が本件約款の全文を朗読して、内容を確認しているのであるから、仲裁合意がなされたといえる。
また、本件仲裁条項の対象となる紛争とは、請負契約の成立を前提として、その内容や結果、終了等に関する争いであり、本件紛争も解除が有効か否かが争点であるから、本件仲裁条項の対象となる紛争に該当する。
2 本案の主張
原告は、本件請負契約で指定された坂口健一作成の図面及び仕様書によらず、小梶建築デザイン作成の図面及び仕様書によって施工したので、被告は、原告に対し、本件約款四条により改造を要求したが、原告がこれに応じなかったので、本件約款一七条二項三号により、本件請負契約を解除した。本件約款一七条三項によれば、右解除の際、工事の出来高部分は被告の所有になると定められているから、被告は建築中の未完成建物を取り壊すことができる。
四 原告の主張
1 被告の本案前の主張について
仲裁合意は、その成立が認められると不起訴の合意と同様の効果を生じさせるものであるから、成立の判断は慎重になされるべきである。本件請負契約の締結に際して、岡本孝子が本件約款の全文を朗読した事実はなく、原告は、本件仲裁条項の存在を知らず、仲裁合意をする意思はなかったのであるから、仲裁合意の成立は認められない。
仮に、仲裁合意の成立が認められるとしても、本件の予備的請求は不法行為による損害賠償請求であって、契約に関する紛争とはいえないから、本件仲裁条項の対象となる紛争に該当しない。
2 本案の主張
被告は、平成七年二月ころから、一方的に工事の中止を要求し、ついには建築中の未完成建物を取り壊したため、原告が工事を続行することは不可能になった。したがって、被告の責に帰すべき事由により、原告の債務は履行不能になったと言える。
また、被告は、本件請負契約の解除をした際には、本件約款一八条二項による解除である旨主張していた。本件約款一八条二項による解除は、原告のみができるものであり、被告の右解除が理由がないことは明らかであるが、右解除は被告代理人によってなされたものであるから、解除原因を遡って変更することはできない。結局、被告は解除の効果が発生していないのに、建築中の未完成建物を取り壊したことになる。本件約款一四条二項によれば、建築中の未完成建物は基本的に原告の所有に属し、被告が支払った金額に相当する部分が被告の所有に属するが、被告が取り壊すまでの本件工事の出来高は約二八〇〇万円であり、被告が支払った金額は八二四万円であるから、未完成建物は原告が70.6パーセント、被告が29.4パーセントの割合で共有していたことになる。被告の取り壊し行為は、原告の持分を無断で破壊したことになるから、不法行為になる。
原告は、建物を完成させれば三〇九〇万円の残代金を得られたのであるから、右金額が原告の損害額である。
仮に、被告の解除が遡って本件約款一七条二項三号によるものとして認められるとしても、原告は、本件請負契約で指定された図面及び仕様書によらないで施工したことはないし、被告から本件約款四条により改造を要求されたこともないから、被告の解除は無効である。解除の効力について争いがある段階で、一方的に建築中の未完成建物を取り壊すこと自体が不法行為であるといえる。
五 本件の争点は、次のとおりである。
1 仲裁合意の成立の有無
2 本件は仲裁合意の対象となる紛争にあたるか。
3 被告の解除は有効か。
第三 争点に対する判断
一 仲裁合意の成立の有無について判断する。
1 <証拠略>によれば、次の事実が認められる。
本件請負契約の契約書作成は、被告の事務所において、被告、岡本孝子、原告代表者及び設計監理者である坂口健一の四名が立ち会って行われた。当初は、原告代表者が持参した市販の建築請負契約書の用紙を使おうとしたが、坂口健一から住宅金融公庫の融資を受ける建物なので、融資住宅用の用紙を使用しなければならないと指摘され、被告側が金融機関から交付を受けていた融資住宅用の契約書用紙を使用した。契約書の内容については、その場で協議しながら、岡本孝子が契約書用紙に記入していったが、岡本孝子は、宅地建物取引主任者の資格を有しており、契約書の内容はその全文を朗読して内容を確認する習慣が身についているため、本件約款についてもその全文を朗読して内容を確認した。その際、本件仲裁条項について、内容の修正や除外の話は双方のいずれからもなく、原告代表者と岡本孝子(被告の代筆)が署名押印して、契約書が作成された。
原告代表者は、昭和四五年から建築請負業を営んでおり、昭和五二年に原告を設立したが、これまで住宅金融公庫の融資を受ける建物についても数件請け負ったことがある。原告代表者は、本件仲裁条項や仲裁制度について意識したことはなく、具体的内容も知らない。
2 原告代表者は、本件請負契約の契約書作成に際し、岡本孝子が本件約款についてその全文を朗読したことはない旨供述している。
しかし、損害保険の保険料を原告と被告のどちらが負担するかとか、雨漏りがあった場合には完成後一〇年間保証するとかの話題が出たことは、原告代表者も認めており、これらの話題は本件約款を個々に検討することによって出るのが通常であるから、原告代表者の右供述部分は、採用できない。
3 仲裁合意の成立が認められると、訴えが不適法として却下されるという重大な効果が生じるから、その認定は慎重であるべきであり、単に本件仲裁条項が記載されている約款を契約書として使用しただけで、その成立を認めるのは相当でない。しかし、本件においては、岡本孝子が原告代表者の面前で本件約款の全文を朗読して内容を確認したが、本件仲裁条項を除外する旨は表明されていないこと、原告はこれまでにも本件仲裁条項が記載された契約書を使用していたと推認されることからみると、本件仲裁条項の内容が合意されたと認定すべきである。建設工事紛争審査会による仲裁手続が導入されてから相当の年月が経過しており、特に本件は建築業者でない注文者からの仲裁契約の抗弁であるから、双方が本件仲裁条項を契約内容とすることに明示的に合意したときに限定して、仲裁合意の成立を認定するのは相当でない。
4 したがって、仲裁合意の成立が認められる。
二 本件が仲裁合意の対象となる紛争にあたるかどうかについて判断する。
1 建設工事紛争審査会の仲裁の対象となる紛争については、本件約款一九条では「この契約についての紛争」と規定され、建設業法二五条二項では「建設工事の請負契約に関する紛争」と規定されている。したがって、請負契約の成立を前提とした紛争は、基本的には全て対象となると解すべきである。
2 原告は、本件の予備的請求は不法行為による損害賠償請求であって、契約に関する紛争とはいえないと主張している。
しかし、仮に被告による本件請負契約の解除が、本件約款一七条二項三号によるものとして認められるとすれば、本件約款一七条三項により工事の出来高部分は被告の所有になるから、被告の未完成建物の取り壊しが不法行為になることはないし、解除が本件約款一七条二項三号によるものとして認められないとすれば、工事の出来高部分は原告と被告の共有になるから、被告の未完成建物の取り壊しは不法行為になる。要は、被告の本件請負契約の解除が認められるかどうかが紛争なのであって、本件も契約に関する紛争である。
なお、原告は、解除の効力について争いがある段階で、一方的に建築中の未完成建物を取り壊すこと自体が不法行為になるとも主張しているが、被告の行為が不法行為になるかどうかは、未完成建物が誰の所有に属するか、すなわち解除の効力によって決まるのであって、解除の効力と無関係に不法行為の成否が決まるものではない。
3 したがって、本件の予備的請求も仲裁合意の対象となる紛争にあたるといえる。
三 以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、本件においては、仲裁契約の存在が認められ、本件紛争は仲裁契約の効力が及ぶ紛争といえるから、本件訴えは不適法である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官永野圧彦)